「ゼミ」は必要か

ぼくが考えていること
加藤文俊(龍谷大学・国際文化学部) clipプロジェクトニュースレター第6号より(1998年11月27日)


はじめに

ぼくたちは、clipの一環として「ONプロジェクト」を企画・実施した。その間のディスカッションで、ぼくは「ゼミは不要だ」という話をした。この話は、とくに産能大「長岡ゼミ」の学生たちにインパクトを与えたらしく、「ONプロジェクト」のほぼ1カ月後、『「ゼミ」の脱構築』というテーマで綴られたメッセージが届いた(clipニュースレター第4号)。それを読んで、ぼくも「ゼミ」についてあらためて考えた。
この文章は、『「ゼミ」の脱構築』への返事のつもりで書きはじめた。「ONプロジェクト」での経験をふりかえりながら、じぶんの考えを整理してみた。「ゼミ」をめぐる問題について、さらに“会話”が続いていくことを期待しながら、誰かからまたメッセージが届くのを楽しみにしながら、書いてみた。

「ゼミ」とは何か:3つの「ゼミ観」

まず、「ゼミとは何か」を問うことからはじめてみたい。「ゼミをどう運営するか」「ゼミはどうあるべきか」「ゼミで何を学ぶか」といった議論はしばしば耳にする。だが、その前にそもそも「ゼミとは何か」について考える必要がありそうだ。「ゼミ」が必要かどうかを語るためにも、まずは「ゼミ」についての考え方を整理しておいた方がいいだろう。
大学において「ゼミ」がどのようにして生まれ、維持されてきたかという歴史的・社会的経緯についてはとくに触れないが、以下では、個人的な経験をふまえて3つの「ゼミ観」ともいうべきものを紹介する。「ゼミ」についての考え方は、研究テーマ(分野)や大学の制度的な問題とも深く関わっているので、容易に一般化することはできないが、あえて3つの側面から「ゼミとは何か」について考えてみよう。

〈授業〉としての「ゼミ」
まず、「ゼミは授業である」と考えることができる。当然のことながら「ゼミ」は大学の時間割に記載されていて、他の科目とおなじように履修登録をする。大学や学部によって「ゼミ」が必修でないカリキュラムもあるが、「ゼミ」を履修することで単位を取り、卒業要件を満たすことにもなる。卒業までに履修する数多くの〈授業〉のひとつにすぎないのだから、とくに成績にこだわらなければ適当に欠席してもいいし、議論に参加しなくてもいい。いわゆる“楽勝”「ゼミ」をえらべば、さまざまな課外活動もできる。逆に、成績が重要ならば、「ゼミ」という〈授業〉で要求される課題や発表をきちんとこなせばいい。もちろんこれは、学生ばかりではなく教員にもいえることである。卒業論文の指導はあるものの、じぶんの“教授法”で「ゼミ」という〈授業〉をすすめていれば、「ゼミ」はそれほど特別な存在ではなくなる。

ここで重要なのは、「ゼミ」を〈授業〉としてとらえるのであれば、議論すべきなのは「ゼミ」のあり方ではなく、大学における〈授業〉のあり方だという点である。もし「ゼミ」が他の〈授業〉とちがうならば、その特質についてあらためて考えてみるべきではないだろうか。たとえば、「ゼミ」は少人数でおこなわれることが多いが、たんにクラスの規模の問題なのだろうか。また、卒業論文の指導などといった側面もあるが、「ゼミ」がなくてもやり方はあるはずだ。人数のことでいえば、大教室で(つまり多人数を相手に)インタラクティブな授業を展開するという実験的な試みはいたるところでおこなわれ、さまざまな成果が報告されている。事務的な効率性とのバランスも重要だが、卒業論文の水準を高めることを考えれば、べつに「ゼミ」という〈授業〉が提供される必要はないのかもしれない。

〈組織〉としての「ゼミ」
研究テーマや調査の性質によって状況はちがってくるが、「ゼミ」を人の集まりとして考えることもできる。ぼく自身の経験からも言えることだが、「ゼミ」がひとつの〈組織〉として理解されている場合は少なくない。「ゼミ」のメンバーは、テーマや関心事を共有する「仲間」なのである。「ゼミ」のメンバーどうしが仲良くまとまっていれば、大がかりな調査・研究も可能になるし、教員と学生が適度な緊張感と信頼感で結ばれていれば、〈組織〉としてのパフォーマンスを高めていくことができる。「ゼミ」のなかで学生どうしがお互いに教え合ったり、ときには競争したりしながら〈組織〉に固有の“文化”を育んでいくことになる。ある種の帰属意識や一体感が生まれるので、「ゼミ」は将来にわたって意味のある“コミュニティ”として存続していく場合もある。

しかしながら、どのような〈組織〉も問題状況に直面する。〈組織〉としての目的やヴィジョンが明確であればあるほど、ひとりひとりのやるべきこと(期待される役割)も明確になる。責任の所在がはっきりすることは悪いことではないが、そのために学ぶという本来の目的を見失い、さほどやりがいを感じられない“作業”に追われるかもしれない。また、〈教員-学生〉あるいは〈先輩-後輩〉といった古くさい人間関係や、〈組織〉のルールが必要以上に強調されると、不健康なプレッシャーが蔓延することになる。「ゼミ」としてのまとまりや目標が優先され、構成メンバーひとりひとりの個性や資質が自由に発揮できなくなると、〈組織〉は閉塞感につつまれる。

「ゼミ」を〈組織〉として考えるとき、人間関係やコミュニケーションのあり方について見直す必要があるだろう。ぼくたちの“リアリティ”は、じつに複雑で変化に富んでいる。もはや「ピラミッド型」の〈組織〉では、創造的な活動をすすめることはできないのである。

〈場〉としての「ゼミ」
「ゼミ」は、ひとつの〈場〉として理解することもできる。〈組織〉のメンバーとして活動するためではなく、学ぶための〈場〉を構成するために「ゼミ」に参加するという考え方である。これは、ある活動の場面だけをくらべると、〈組織〉と混同されやすいが、人間関係のあり方が本質的にちがう。「ゼミ」への参加は、学ぶための〈場〉を(ある一定期間)維持していくためであり、いわば「一時的な紐帯」によってひとが結びついている。これは、近年よく耳にするようになった「プロジェクト型」思考の特徴だといえるかもしれない。

〈場〉としての「ゼミ」における人間関係は、「ピラミッド」のどこかにしばられる関係ではないし、だからといってマナーや礼節を無視した関係でもない。“つかず離れず”でいながら協調する。規律のある〈組織〉に慣れ親しんだひとにとっては、曖昧で不確実性に満ちた関係かもしれないが、のびやかで動きがある。「ONプロジェクト」では、こうした〈場〉の意味を再確認したように思う。以前、「プロジェクト型」でおこなう活動を“座”に見立てて論じたことがあるが、まさにその感覚に近い。それは、解散を前提とした集結であり、移動を前提とした滞在なのである。そして、〈場〉としての「ゼミ」では、その場の状況に応じてひとりひとりの責任や役割が変化する。フレイレのことばを借りれば、「生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師」とが、共に学び合う〈場〉として「ゼミ」が存在するのである。そのいっぽうで、解散や移動を前提にしていることで、無責任に振る舞ったり、その場しのぎの態度に陥る可能性は否定できない。

いずれにせよ、こうした考え方にもとづいて「ゼミ」を実践している例は、まだあまり聞かない。活気に溢れ、つねにひとを惹きつける〈場〉として「ゼミ」を構成するにはどうすればいいのだろうか。ぼくたちは、これからさまざまなやり方を試していかなくてはならない。

何が問題なのか

いま述べた3つの「ゼミ観」をふまえて、「ゼミは必要か」と問うことの意味について整理してみよう。

認識のギャップ
まず、ぼくが「ゼミは必要か」と問うとき、「ゼミ」そのものが問題なのではない。ぼくたちが、それぞれの「ゼミ観」のちがいを意識していないという点が気にかかるのである。しかも、「ゼミ観」のちがいについて議論されることはほとんどない…。つまり、学生も教員も「ゼミ」という名のもとにひとつの教室に集うことがあっても、それぞれがちがった「ゼミ観」を抱いていることが多いのではないか、という問いなのである。

学生と教員とがことなる「ゼミ観」を抱いている場合には、当然のことながら、さまざまな問題が生じる。たとえば、学生が〈授業〉のつもりで活動しているにもかかわらず、教員が〈組織〉としてのまとまりを求めていたとしたら、お互いの思惑と期待はすれ違うことになる。教員は「やる気がないのか?」とイライラし、怒りはじめ、学生はなぜそのようなことが問題になるのか理解できなくなる。逆に、〈組織〉に固有の一体感をもとめて「ゼミ」での活動をはじめたにもかかわらず、ふつうの〈授業〉が繰り返されたとしたら、学生は徐々にストレスを感じるようになるだろう。

さらに、学生どうしでも、こうした「ゼミ」に対する認識のギャップがあることは容易に想像できる。〈授業〉として「ゼミ」を理解し“それなり”にやっている学生も、〈組織〉という側面に惹かれ魅力を感じている学生から見れば、「ただ乗り」をしているように見えるかもしれない。あるいは〈組織〉のルールからもっと自由になりたいと願っている学生がいるかもしれない。

こうして、「ゼミ観」のちがいについてじゅうぶんに語ることもなく、お互いがなんとなく心地悪さを感じながらも「ゼミ」がすすめられていく。そもそも、2年間おなじ「ゼミ」で活動して卒業論文を書くというやり方にどのような意味があるのだろうか。ぼくたちは、大学3年生になれば「ゼミ」に“入って”卒業までの2年間を過ごすものだと思い込んでいるが、果たしてそれは学ぶための環境としてふさわしいのだろうか。そろそろ、こうしたぼくたちの“常識”を見直してもいいのではないかと思う。

もちろん、現実的な問題としては、カリキュラムや他の手続き上の決まりをそう簡単に変えることはできないだろう。だが、ぼくたちの発想までもが固まってしまう必要はない。「ゼミ」についてどう考えているのか。どのような「ゼミ」を欲しているのか。〈授業〉〈組織〉〈場〉のどの側面に価値を見いだすのか。「ゼミ」には他にどのような意味や意義があるのか。アタマを柔らかくして「ゼミ」についてもっと語るべきではないだろうか。それは、結局のところ、これからの大学のあり方について考えることになるはずだ。

「ゼミ」のアイデンティティ
「ゼミ観」のちがいについてはいま述べたが、それぞれの考え方のちがいが明らかな場合はまだマシである。さらに問題なのは、誤った認識を共有しながら、つまりじぶんたちの“姿”を知らずにいながら、「ゼミ」としてのまとまりがあるような場合である。たとえば、〈組織〉としての側面を重視して活動している「ゼミ」があったとしよう。その「ゼミ」が何らかの問題状況に直面したとき、〈組織〉であるという自覚がないと、〈組織〉の問題として理解すべき事柄を、他の側面から対処しようとするかもしれない。そして、〈組織〉としての完成度が高ければ高いほど、〈組織〉自体を疑うことは難しい。だが、〈組織〉の問題であるにもかかわらず、〈授業〉のあり方について論じていても、おそらくあまり意味がないだろう。これは、じぶんたちの「ゼミ」はどのような特質をもっているか、という「ゼミ」のアイデンティティに関わる問題である。

おなじように、〈場〉としての「ゼミ」を構成しているつもりで、じつは〈組織〉をつくっている場合もあるだろう。これは、最近流行りの「プロジェクト」ということばと密接に関連している。じぶんの経験(この文章を書くきっかけとなった「ONプロジェクト」もふくめて)でもいえることだが、「プロジェクト」というコンセプトの本質については、まだよくわかっていないのが現状であろう。だが、ぼくたちはわかったつもりになって、「プロジェクト」ということばを使い、カタカナや横文字を多用して、あたらしい研究・学習環境を獲得したと思い込んでいるだけかもしれない。すでに述べたとおり、〈場〉という側面を重視する場合には、人間関係やコミュニケーションのあり方が大きく変容する可能性がある。もし、解散や移動を前提に集まることが「プロジェクト」の本質であるとすれば、〈組織〉としての経験や実績をひとまず忘れて、あたらしいやり方を試してみることからはじめなければならない。それには、曖昧さや不確実性に対する寛容な態度(マインド)が要求される。

活動のスタイルはさまざまであるが、「ゼミ」が固有の“文化”をもつことは間違いない。しかしながら、他の“文化”と触れる機会がなければ、それは閉じられた世界で再生産をくり返すだけである。じぶんたちが「ゼミ」をどう理解しているかを問うことは、「ゼミ」が“外”からどのように理解されているのかという視点をもつことなのかもしれない。

状況の多重性
さらに複雑なのは、「ゼミ」についての考え方が重層的に関わっているという点である。つまり、ここで紹介した〈授業〉〈組織〉〈場〉という3つは、あくまでも「ゼミ」の状態なのであって、固定された属性ではないのだ。「ゼミ観」ということばを使ってきたが、これらはいわば「ゼミ」が見せる“表情”のようなもので、その時々で、いずれかの側面が際立つと考えたほうがいいだろう。結局のところ、「ゼミ」は〈授業〉であり、〈組織〉であり、〈場〉なのである。そして、いうまでもなく、他にいくつもの“表情”があるにちがいない。

このことと関連して、近年、アイデンティティについての考え方が変わってきていることにも注目しておきたい。これまでは、ひとつに統一されたアイデンティティをもつことが健全だとされてきたが、いまではアイデンティティを多重体として理解するようになってきているという。つまり、いくつものアイデンティティをもつこと、いくつものじぶんを確信することは、むしろ自然なことだという考え方である。重要なのは、「いま・ここ」でのじぶんの“姿”(あるいは“表情”)を意識できるかどうか、そして、ひとつのアイデンティティからべつのアイデンティティへとストレスなく移行できるかという点なのである。

こう考えると、その場その場で状況を定義し、必要に応じてごく自然に“姿”を変えることのできる「ゼミ」が理想的だということになる。たとえば、効率性を要求されるような“作業”が発生した場合、おそらく〈組織〉としての側面が重要な意味をもつだろう(テキパキと機材をセッティングする長岡「ゼミ」の学生の姿を見て、ぼくたちは「組織的だ」と感じた)。創造的な活動をおこなうときは、楽しくて開放的な〈場〉が構成されることが望ましい(創造力は「出せ」と言われて「出る」ものではない)。そして、ときには〈授業〉としての側面を生かして伝えたいメッセージもある(“プロ”は言い訳をせず、しめ切りを守るということが「ONプロジェクト」のキーワードだった)。

ぼくたちが埋め込まれている状況は、単純でわかりやすいものではない。その意味では、「ゼミ観」を意識するのも悪くない。じぶんたちの活動がどのような性質をもっているのか、どのような側面に価値を見いだしているのか、つねに自問できるようになれば、認識ギャップによるストレスも多少は軽減できるかもしれない。だが、不思議なもので、ひとたび「ゼミ」のアイデンティティともいうべきものが確立されてしまうと、なかなかそれを疑うことはできなくなる。そして、幾重もの状況のなかにぼくたちの活動があることを、すぐに忘れてしまうのだ。

「ゼミ」は必要か

「ゼミは要らない」という話をしたあと、思っていたよりも反響があった。産能大の「ゼミ」生からはメッセージが届いた。何人かの先生からは、clipのニュースレターを読んだコメントを聞かせてもらうことができた。長岡先生は、「パンドラの箱を開けられてしまったのかもしれない」と言った。「ゼミ」とは何か…。これについて考えること・語ることは時間のムダなのだろうか。もし本当に「箱」を開けてしまったのなら、すぐに蓋をしない方がいい。希望だけが残されるよりは、この際、じっくりと「箱」のなかを見てみたいと思う。

この文章を書く直接のきっかけは「ONプロジェクト」だった。しかしながら、「ゼミ」への想いは、ぼく自身の経験と密接に関わっていて、少しばかり感傷的な理由につき動かされている。

ぼくは、〈組織〉としての「ゼミ」とともに学生生活を送った。その当時は〈組織〉として考えたことなどなかったが、いま思えばとてもよくデザインされた〈組織〉だった。じじつ、ぼくはこの「ゼミ」の一員として多くのことを学んだ。だが、時代の要請が変わり、学生の気質も変わりつつあったのだと思う。〈組織〉としての完成度が高すぎたために、ルールや形式がいささか先行し、「ゼミ」はある種の閉塞状態に陥った。

肝心なのはその先である。学部を卒業して大学院生だったころ、〈組織〉としての「ゼミ」はあらたな方向へと展開しはじめた。少しずつではあったが、それまで育まれてきた「ゼミ」の“文化”は変わり、〈あたらしい組織〉になった。ぼくは、その移行期に居合わせたのである。師が悩み熟慮し、これまでの「ゼミ観」を変えていく状況を「目撃」した体験は貴重だった。難しく言えば「自己の再編成」ということになるが、それはまるで、落とし穴のなかから、さまざまな力に逆らって、じぶんの手でじぶんを引き上げるようなものである。以来、ぼくは「ゼミ」について考えるようになった。

数年前から、「プロジェクト」というあたらしい調査・研究のスタイルに興味を抱くようになった。これまでの〈教員-学生〉という関係を変革し、共に学び合う環境を立ちあげる、という魅力的なコンセプトだと思った。「ゼミ」をめぐる問題について、何らかのヒントが見えるかもしれないと期待した。そして、じぶんのまわりで、さまざまな「プロジェクト」が動きはじめた。しかしながら、ぼくが「目撃」したのは、「プロジェクト」という名の〈組織〉が生まれていく過程だった。それは、あたらしい環境ではなく、かつての「ゼミ」(〈組織〉としての「ゼミ」)へと逆もどりしているかのように感じられた。〈場〉の問題として考えるべき事柄は、〈組織〉の問題と混同されていた。

だが、この夏の「ONプロジェクト」をつうじて、何かが見えた。“この指とまれ”で集まった龍谷大学の学生と、“「ゼミ」合宿”として参加した産能大学の学生とのコントラストは興味ぶかかった。また、レコーディングという活動を中心に解散と移動を繰り返す、ミュージシャンやデザイナーの感覚にわずかながらも触れることができた。いまだに腑に落ちない点はあるが、「プロジェクト」の本質について語るためのボキャブラリーやメタファーが見えてきたように思う。やはり、人間関係やコミュニケーションの問題をきちんと考える必要がありそうだ。

「ゼミ」は必要か…。やはり、このテーマは大きすぎる。書きはじめると、「ゼミ」についてのさまざまな想い(あるいは思い出)が浮かんできて、じゅうぶんに整理できなかったように思う。だが、この文章がきっかけとなって「ゼミ」について、学ぶ環境について、もっといろいろな考え方に触れられればいいと思う。

ぼくが、「目撃者」としてのアイデンティティを意識するかぎり、「ゼミ」の問題について考え続けていくことになるだろう。どうやら、「箱」の蓋は、まだ開けられたままだ…。

(1998年11月・加藤文俊)

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